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過去 歴史 ??? 爆龍神オルドラス爆誕 過去 西暦0年12月25日 馬小屋でキリスト様が生まれまくる。 1930年 ゴールデンハムスターがシリアで捕獲される。これ以外の野生種は見つかっていないので現存する ゴールデンハムスターは皆この子孫である。公星もおそらくこの子孫であると考えられる。 歴史 2004年冬頃 真剣ゼミスレで公星がついに漫画を描き始める ※以前はまとめサイトがあったが今は消滅している カレーもvipにドラえもんZという名前のスレを立てて漫画を描き始める 内容はドラえもんをパロったひどいペイント漫画であった もちろん1スレで終わった ※誰かか保存してうpっててくれてたけどもう消えた 2005年春頃 新都社をデビューし、コミックニートの看板作家になるが それ故に命を狙われていた彼は避難所を作った 後の週刊少年ハムスターである 2007年10月6日 機動戦士ガンダム00ファーストシーズン 放送開始 「俺が・・・・ガンダムだ!」 2008年3月29日 機動戦士ガンダム00ファーストシーズン 放送終了 「俺達が・・・・ガンダムだ!」 2008年10月27日 俺の思いつきでハムwikiがこの世に生を受けたのであった
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歴史 2009年 2月 21日~ 3月 前半 / 後半 3月MVPランキング 月間MVP:PuppetMaster 4月 前半 / 後半 4月MVPランキング 月間MVP:Bridget 銀ぎつね ハーミット アリクサ 5月 上旬 / 中旬 / 下旬 5月MVPランキング 月間MVP:φ 6月 上旬 / 中旬 / 下旬 6月MVPランキング 月間MVP:ハーミット Emile PuppetMaster 7月 上旬 / 中旬 / 下旬 7月MVPランキング 月間MVP:Nero SPOOKY 8月 上旬 / 中旬 / 下旬 8月MVPランキング 月間MVP:ハーミット ピーチ 9月 上旬 / 中旬 / 下旬 9月MVPランキング 月間MVP:ハーミット 10月 上旬 / 中旬 / 下旬 10月MVPランキング 月間MVP:ガッツ 11月 上旬 / 中旬 / 下旬 11月MVPランキング 月間MVP:そもさん 12月 上旬 / 中旬 / 下旬 12月MVPランキング 月間MVP:堕落 2010年 1月 上旬 / 中旬 / 下旬 1月MVPランキング 月間MVP:( ・(ェ)・) あなぐま その通りでございます 2月 上旬 / 中旬 / 下旬 2月MVPランキング 月間MVP:PuppetMaster 3月 上旬 / 中旬 / 下旬 3月MVPランキング 月間MVP:あなぐま 稲咲しらう 牙狼 4月 上旬 / 中旬 / 下旬 4月MVPランキング 月間MVP:牙狼 5月 上旬 / 中旬 / 下旬 5月MVPランキング 月間MVP:ガッツ 6月 上旬 / 中旬 / 下旬 6月MVPランキング 月間MVP:ハーミット 2013年 9月 中旬 / 下旬 9月MVPランキング 月間MVP:美緒菜さん 10月 上旬 / 中旬 / 下旬 10月MVPランキング 月間MVP:コーラで洗えば大丈夫 くさや 堕落 φ 11月 上旬 / 中旬 / 下旬 11月MVPランキング 月間MVP:
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[部分編集] ニコニコ歴史戦略ゲーシリーズランキング 最新の週刊ランキング 最新の月刊ランキング ランキング動画データ 投稿時期 2008/12/21~ マイリスト ニコニコ歴史戦略ゲーランキング集 関連タグ 【ニコニコ歴史戦略ゲーランキング】 関連サイト 意見先: 歴史戦略ゲーランキング処(仮 実行犯: らきすた☆立志伝 とか 備考 →ランキング動画一覧 解説 [部分編集] 【ニコニコ歴史戦略ゲー】 タグを付した動画、その数無慮2万。 この動画は【ニコニコ歴史戦略ゲー】タグのついた動画作品を扱う「ランキング動画」であり、 「ランキング委員」の方々によって編集がおこなわれている。 ランキングの射程 対象は「【ニコニコ歴史戦略ゲー】タグのついたシリーズものの動画」である。 ただし、「歴戦ゲ」コミュニティ以外の動画(隣接する他コミュニティへの帰属意識の高い動画など)に うp主の意に沿わない形で【ニコニコ歴史戦略ゲー】タグを貼って回るという「荒らし」があったため、 civ動画などでは「【ニコニコ歴史戦略ゲー】タグを固定していること」を追加条件としている。 また、「シリーズもの」が対象であるため、「単発動画」「歴戦ゲネタの単発MAD」は対象外となる。 ランキングの特徴 ニコニコ動画に存在する他のランキングの多くが、動画単位のランキングであるのに対し、 「歴戦動画」の対象は「シリーズもの」であるという特徴を持っており、一般的なランキングとは異なるスタイルをとっている。 たとえば、他のランキングで大きな要素になっている「マイリスト」は、歴戦ランキングでは勘案されていない。 動画単体よりもシリーズ全体をもって「ひとつの作品」として評価されること、 しおり代わりに「マイリスト」を利用していた視聴者が、最新話に登録を追随させることによって、 以前の動画からは「マイリスト」が外されてしまうことがある……など、視聴者の「マイリスト」利用形態が特殊なためである。 ランキングの役割 「ランキング」の形式を取ってはいるが、「作品を紹介する動画」としての役割を重視しており、 マイナーなシリーズの掘り起こしや再生数のアップが期待されている。 また、早くから「コメント率」など他の指標を取り入れるなど、 単純にポイント順=ランキング順位の上下が「作品の価値」の上下と錯覚されないための工夫も行われているほか、 ランキングに表示される「画面の指定」、「ニコ割」の表示、「メッセージ」受け入れなど、 うp主による自作の、あるいは視聴者によるお気に入り作品の、魅力を伝える場としての機能も備えるようになった。 本体はぬこ タグにもなっており 、 大百科に記事もある 「 本体はぬこ 」であるが、 もともとは、「らきすた☆立志伝」うp主(N2氏)に関するネタであった。 うp主のグラは「猫を抱えた辮髪の人物」……と思いきや、「辮髪の人物に抱えられた猫」だったのである。 N2氏が担当してからは司会進行役として前述の姿の猫(と人物)が登場。 その後、「ランキング」の制作者たちが「猫を抱えた人物(?)の姿」などで登場しているため、 「歴戦ランキング動画を作ろうとする営み」が「猫」になぞらえられている観がある。 このランキングを見る視聴者も、気づけば小さな猫を抱えているのかもしれない。 沿革 [部分編集] 2008年後半、本スレにおいて「ニコニコ歴史戦略ゲー」のランキングあるいは紹介動画を模索する話題が出される。 そうした中、某P氏ほか作成の「お試し版」(計2本)投稿により、動画のひとつの具体的な姿が示されたことは、 本企画が立ち上がる契機となる。 2008年12月、2008年11月号(11月1日~11月30日を12月15日に集計)が投稿され、 その後の動画主や視聴者の意見や反応等を踏まえながら 「ニコニコ歴史戦略ゲーランキング」(月刊)として、正式に本格運用が開始されることとなった。 2009年7月には、週刊ランキングがスタートした(6月4週分から)。 7月4週分からは、ランキングに加えて全作品紹介を行う「前編・後編」体制で制作された(9月4週分まで)。 週刊担当者は、事情により(事前予告通り)9月4週分で降板されたが、 その後有志が「週刊代理」として週刊ランキング(上位30作品)を制作されている。 『ランキング屋』ことN2氏(らきすた☆立志伝のうp主で、ランキングの根幹部分を担当、現在は監修あるいは裏方として活躍)ほか、 複数の歴戦ゲー動画主の協力体制のもと、現在に至っている。 月刊ランキング [部分編集] ポイントの集計方法 ランキングに利用される「ポイント」の集計方法は下記の通り。 再生数+コメント数=ポイント(補正等はなし) 月刊ランキングでは、該当期間中に上げられた動画の総ポイントで順位が決定される。このため、 シリーズA第1回(170pt)、シリーズB(150pt)、シリーズA第2回(130pt)、シリーズC第1回(120pt)、シリーズC第2回(100pt) がある場合、順位は シリーズA(300pt)、シリーズC(220pt)、シリーズB(150pt) となる。これは、作品を短いサイクルでこまめにうpした作者の努力を評価する形となっている。 現在の動画構成 月刊ランキングは、上記の方法で集計されたポイントの上位30作品を映像つきで紹介する。 あわせて「PickUp」として、あるテーマ(使用ゲーム)に沿った連載中作品を紹介している。 ランキング30位→21位 ランキング20位→11位 PickUp ランキング10位→4位 コメント率ベスト10 ランキング3位→1位 100位までの一覧 のパートに分かれており、各パートの最後に紹介された作品およびベスト3には「ランキング屋」のコメントが付く。 動画ラストでは、ランキング100位までの作品とポイント数を一覧表示(2009年7月分からは作品のコメント率も記載)。 これらの作品は、有志によってリストにまとめられている。 週刊ランキング [部分編集] ランキングに利用される「ポイント」の集計方法は、「月刊」同様。 再生数+コメント数=ポイント(補正等はなし) ただし、月刊とは異なり、シリーズ中最大の動画単体のポイントによって順位がつけられている。該当期間中に シリーズA第1回(170pt)、シリーズB(150pt)、シリーズA第2回(130pt)、シリーズC第1回(120pt)、シリーズC第2回(100pt) がある場合、ポイントは シリーズA(170pt)、シリーズB(150pt)、シリーズC(120pt) となる。 参照: 週刊ランキングの集計方法・今週のお題について。 「前編」と「後編」 6月4週分より、ポイント上位30位までと新規作品を扱う「週刊ランキング」がスタートした。 7月4週分からは、本ランキング(上位30作品)に入らなかった作品を扱い 連載されているすべての歴戦動画を紹介する役割を果たす「増刊号」が出されるようになった。 8月1週分から「増刊号」を先に公開するようになったが、 「増刊」のほうが先に出ることが「わかりにくい」との声も出たため、 増刊号→「前編」、本ランキング→「後編」 と改称した。 このように、「前後編」は「一本の動画を前後編に分けた」というよりも、 目的を異にする二本の動画を一体の扱いにしたものである。 「後編」が「本編」で「前編」が「別動画」であった名残がいくつか残されている。 たとえば、「後編」(旧本ランキング)だけを見てもその月の「新作」情報が得られるようになっている。 「前後篇」への改称後も、 しばらくは、ツールの都合のためか順位が「増刊号(前編)」「本編(後編)」で別個に振られていた(増刊号1位は総合31位)。 総合順位(前後編通した順位)で表示されるようになったのは8月5週分からである。 「前後編」体制は、週刊の人が降板する9月4週分まで続けられた。 動画構成 前編 週刊ランキング前編は、総合30位以内に入らなかった作品を映像つきで紹介する。 CM動画や視聴者からの寄せられたトークの紹介もしている。 「前編一覧」(31位以降の動画)の一覧が表示されている。 ランキング最下位→51位 CM ランキング50位→41位 ランキング40位→34位 CM ランキング33位→31位 前編一覧 後編(ランキング本編) 各パートの最後に紹介された作品およびベスト3には「ランキング屋」のコメントが付く。 「お題」では特定のテーマ(タグ)に沿った動画(単体)のランキングを表示。 基本的にはベスト10だが、対象が多い場合は2週にまたぎ、ベスト20を表示することもある。 動画ラストでは、ランキング100位までの作品とポイント数を一覧表示している。 ランキング30位→21位 新作紹介(後編で触れられないもの) ランキング20位→11位 コメント率ベスト10 ランキング10位→4位 お題 ランキング3位→1位 100位までの一覧 2009年10月以降の週刊ランキング 9月いっぱいで終了とアナウンスされていたが、 その後「代理の人」が1週のみとのことで名乗りを上げ、 さらにその後も有志によって更新が続けられている。 かつての「ランキング本編」(前後編時代の「後編」)のみの構成となっているが、 新機軸を加えるなどの試みも行われている。 ランキング制作委員会では、引き続きスタッフを募集中とのことである。 特別ランキング [部分編集] 上記の定例ランキング(月刊・週刊)のほかに、ランキングが企画されることがある。 ランキング委が制作した特別ランキングは、ほかに2回ある。 2009年正月には、ニコニコ動画運用から2008年12月31日までに投稿された 1万2000本超の「ニコニコ歴史戦略ゲー」プレイ動画を月ごとに集計した 「ニコニコ歴史戦略ゲー シリーズランキングSP 07-08」が投稿された。 2009年5月には、history-reproductionの一環として「戦略ゲーPart1リンク」のランキングが制作された。 ランキング動画リスト [部分編集] ランキング動画一覧をご覧ください。 コメント欄 解説乙であります -- 猫 (2009-09-03 22 11 42) 間違ってたら訂正してください。いつも楽しみにしてます、おつかれさまです。>猫さん -- 名無しさん (2009-09-03 23 45 30) Wikiの更新、いつも有難う御座います -- 週刊の人 (2009-10-01 02 32 35) ほんと、良くやってくれてるなと思います。これからも頑張って下さい。 -- 名無しさん (2010-01-14 22 13 38) 名前 コメント
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創世神話 建国神話 ユルゲンシュミットの歴史初代王の時代 古代 グルトリスハイトの変容~「王族」の出現 神事の衰退~聖地の重要性の希薄化 貴族の弱体化 グルトリスハイトの変容 政変 トラオクヴァール王の時代 グルトリスハイトの歴史 エーレンフェストの歴史 アーレンスバッハの歴史 ランツェナーヴェの歴史 ローゼマイン個人史 コメント 創世神話 神々の詳細については個別ページ参照 闇の神は気の遠くなるような長い時間をたった一人で孤独に暮らしていた。しかし光の女神と出会い、夜明けが訪れた。(*1) 二人は結婚し、水の女神と火の神と風の女神と土の女神が生まれ、この世界を作り上げた。 ある時、命の神が末娘である土の女神を一目見て好きになってしまった。命の神の眷属であり友人である縁結びの神エアヴェルミーンの協力もあり(*2)、命の神は土の女神に求婚し、闇の神へ結婚を願い出た。たくさんの子が生まれるだろう、と命の神の求婚に喜んだ闇の神は二人の結婚を認めた。 しかし、闇の神に横恋慕していた混沌の女神の焚きつけ(*3)もあり、命の神は土の女神を氷と雪の中に監禁した。凌辱して孕ませたが、まだ生まれていない子供達にまで嫉妬し、力を奪い取って生まれないようにした。こうして冬が出来た。 土の女神やその眷属の扱いに憤ったエアヴェルミーンは、命の神と喧嘩別れをし、土の女神の眷属を連れて水の女神のところへ行き、土の女神を助けるための手助けをした。自分が縁を結んだせいで土の女神が大変な目に遭った、とエアヴェルミーンは縁結びの神としての力をリーベスクヒルフェに譲り、神としての力を失った。 結婚してから全く姿を見せない土の女神を心配していた光の女神が氷を溶かし、水の女神が力の弱まった命の神もろとも氷と雪を押し流し、友人の女神達と一緒に子供達という名の種に力を加えて芽吹かせ、春が出来た。 火の神が自分の友人達と力を与えて、芽生えた命はみるみるうちに成長していき、夏が出来た。 土の女神と命の神の子どもであるメスティオノーラは、命の神から隠れるため、闇の神からいただいた夜空の髪、光の女神からいただいた金の瞳に姿を変え、最も守りの強い風の眷属に入り、神々から神具を使うことを許された。 しかし、命の神の力が戻り、雪と氷で土の女神を捕らえる為に再びやってきた。育ち実った命の収穫を終わらせるまではと、風の女神は命の神を風の盾で防ぎ続け、秋が出来た。 シュツェーリアの夜、命の神の力が風の女神の力を超えてしまった(*4)。兄姉神の力が弱ったところで、命の神は再び土の女神を攫って雪の中に監禁し凌辱した。 命の神を殺すとこれから先、命が生まれなくなってしまうのでできず、兄姉神達はじっと力が溜まるのを待った。 そしてフリュートレーネの夜、水の女神の力が命の神の力を超え、土の女神を救い出す。 このように神々の諍いは繰り返され、世界は季節が移ろっている。 建国神話 神々の詳細については個別ページ参照 メスティオノーラとエアヴェルミーンの物語(*5)。 命の神エーヴィリーベは、土の女神ゲドゥルリーヒとの結婚の許しを得る際、多くの命を生み出すことを闇の神に期待された。それに対し、エーヴィリーベは多くの命を生み出す事は必要でも、ゲドゥルリーヒの胎内で時間をかけてゆっくりと育てなければならない神の子は不要と考えていた。エーヴィリーベは、ゲドゥルリーヒは大事であっても、その子については、新たな命を育むためには邪魔であったので疎んでいた。 そのため、神の子を身籠ったゲドゥルリーヒは身の危険を感じ、話を聞いた命の眷属で縁結びの神エアヴェルミーンはエーヴィリーベの身勝手さに怒りを感じた。 エアヴェルミーンは、出産の女神エントリンドゥーゲが力を十分に振るえるように土の女神の眷属を救い出すとともに、光の女神と水の女神に協力し、ゲドゥルリーヒを出産の女神エントリンドゥーゲに送り届けた。 こうしてゲドゥルリーヒから生まれた子供の中で唯一、神の力を持って生まれたのが、英知の女神メスティオノーラである。 メスティオノーラは、隠蔽の神フェアベルッケンによって隠され、導きの神エアヴァクレーレンや育成の神アーンヴァックスに育てられ、度々命を狙ってくるエーヴィリーベから身を守るために神々の神具を自由に使うことが許された。 メスティオノーラを救い出した後、エアヴェルミーンは、エーヴィリーベとゲドゥルリーヒの縁を結んでしまった自らの権能を疎い、神の力をリーベスクヒルフェに譲って、神の世界を去った。神としての権能を譲っても、魔力が無くなったわけではなく、エーヴィリーベの力によって白で覆われた世界に降り立ち、あふれる魔力で大地を満たした。そしてエーヴィリーベに疎まれて白の大地に追いやられる人間達を保護することを贖罪とし、ゲドゥルリーヒとメスティオノーラが幸せに過ごせるようにと、日々神々に祈りを捧げ続けた。 成長したメスティオノーラは自分と母であるゲドゥルリーヒを救ったエアヴェルミーンの行く末を大変気にかけていた。神界からメスティオノーラがエアヴェルミーンに呼びかけると、エアヴェルミーンは、魔力が少なくもっと苦労している人間達へその祝福を分けてほしいと懇願した。エーヴィリーベに迫害されて苦しむ魔力を持った人間達は、エアヴェルミーンによって受け入れられ、エーヴィリーベの目を欺くために白の建物が並ぶ場所で暮らしていた。エアヴェルミーンに懇願されたメスティオノーラはその地の神殿に赴いて神殿長の姿を見るが、祈りの声も言葉も聞くことが出来なかった。エアヴェルミーンと共に神々に祈る人間達の祈りは、過剰な魔力に悩まされていた神殿長のものですら、神々に届いていなかった。 エアヴェルミーンの望みを聞いたメスティオノーラは、神々に相談し、その結果、敬虔な祈りを捧げていた神殿の人間達には神々に祈りを届けるためのシュタープが与えられた。これにより、人間たちは自身の魔力を自由に扱うことができるようになった。人間達の中で最も祈りを捧げていた神殿長には、グルトリスハイトを写すことが許され、初代王として人間達を導くようにと命じられた。 ユルゲンシュミットの歴史 歴代の王の詳細については個別ページ参照 n年についてはマインの生年を0年とした年表のページの記載に準拠 第n期についてはグルトリスハイトのページの記載に準拠 初代王の時代 初代王は敬虔に神に仕える神殿長でもあり、メスティオノーラが持つ最古の聖典のグルトリスハイトを写すことを許された。 国の礎と国境門が設置され、王はそれらに魔力を満たす事で国の結界を存続させ、ユルゲンシュミットを形成する。 また、エアヴェルミーンを通じて神々の協力を取り付け、エアヴェルミーンの魔石を基点としていくつもの属性の魔法陣を組み合わせて大規模魔術を行い、元々の神殿の場所に聖地(現在の貴族院、最奥の間が魔法陣の中心部)を成立させた。 国内を統治する為、領地の境界線を引き、各領地の礎・神殿・神具・聖典を設置し、各領主を任命した。 聖地と各国境門に対応した大領地6つの合計7領地が定められた。(*6) あわせて、命の神の以外の六つの神具をそれぞれの大領地の紋章に入れた。 その名残は、現在、クラッセンブルクとダンケルフェルガーにのみ残っている。(*7) 建国当初、国境門に魔力を満たすのはその領地の領主の仕事だった。 時代が下るにつれて、収穫量などが元になった平民同士の争いが原因となった領地間の小競り合いや、大領地からの王への申請を元に、領地の分割が行われていった。 例えば、ダンケルフェルガー周辺の小領地は、元ダンケルフェルガーの領主一族が独立した領地である。(*8) 古代 初代王のグルトリスハイトを写した者が王であると聖典に記されている。 つまり、王は初代のグルトリスハイト(=メスティオノーラの英知)をエアヴェルミーンを介して始まりの庭で写した者の中から選ばれる。 王を目指す者達はグルトリスハイトを得る為にも神殿で神事を行い、各領地では次期領主が神殿長を任され、神殿は王や領主と等しいものだった。 そうしてグルトリスハイトを得た各地の領主や神殿長から王が選ばれ、領主が王になる時は次期領主に領地の礎を継承させてから王になっていた。 ダンケルフェルガーから王が立った事もある。 各地の王候補が代替わりのたびに争いを起こし、何人も死人が出たり、聖地が荒れたりする時代だった。 争いが起きて口伝が途絶えても問題ないように、各領地の神殿にある聖典にグルトリスハイトへ至る道が記されていた。 メスティオノーラの英知の内容が雑多膨大になり知識継承の取りこぼしが生じる為、王の執務に必要な知識が集められた「マニュアル本グルトリスハイト」が作られ、地下書庫の奥に収められた。 王は英知の取りこぼしが起きてしまった場合、足りない知識をそこから写して執務を行っていた。 グルトリスハイトの変容~「王族」の出現 時代が下り、エアヴェルミーンを介さず、祠を巡る手順が省かれるようになった(第2~3期)。 雑多膨大なメスティオノーラの英知を得る努力を敬遠した王は、代わりにマニュアル本の知識で執務を行なった。 ここで「グルトリスハイト=地下書庫の奥のマニュアル本」という変質が起き、これを一族で独占する女王が出現する(第4期)。 候補同士の大規模な後継争いを避ける為、王族として登録されている者以外を地下書庫の奥に入れないようにした。 この独占に抗議する者達を粛清し、襲撃を避ける為に居住地を聖地から別の場所に移し、防御を固めた。 これ以降、たまに現れるメスティオノーラの英知を得た王族以外の王候補達も尽く粛清し、グルトリスハイトは王族に独占された。 全属性の王族により神事が聖地で行われている間は、王の質が下がる事はなかった。 神事の衰退~聖地の重要性の希薄化 グルトリスハイトを得られなくなり、下手に手を出せば粛清対象となる各地の領主や神殿長は聖地での神事に参加しなくなった。 王族だけで行われる聖地での神事は次第に小規模となっていった。 王族内の継承争いで候補同士が相打ちとなり、残った候補が体の弱い1人だけになった時代に、王族の居住地近くに中央神殿が建立された(第5期)。 神事は中央神殿で行われるようになり、シュタープを取得する教育だけの場となった聖地は貴族院と呼ばれるようになった。 各領地でも神事と政治が少しずつ離れていき、神殿に入るのを拒否する領主候補生が出始めた。 長い年月の間で、神殿が政治の世界から左遷された者が向かう場所になると、忌避されるようになった。 トルキューンハイトの出奔 400年前(第4期以降~第5期の間)に起こった事件。ランツェナーヴェが建国され、アダルジーザの離宮が出来た。 詳細はランツェナーヴェ>歴史参照。 大領地アイゼンライヒとボースガイツによる王位簒奪未遂~中領地アイゼンライヒの内乱 200年前に起こった事件。当時の王により領地の境界線の引き直しや礎の魔術の新設置が行われ、その後領主のすげ替えも行われ、エーレンフェストが出来た。 詳細はエーレンフェスト領>歴史参照。 ツェントへの反乱(時代不明) 数百年前にキルシュネライト周辺で起こった事件。元々の大領地が6つの領地に分割された。(*9) 法律削除の騒動(時代不明) その昔、王に対する相談事を減らすため、細かい法律が次々と増やされ「法律の書」に書き込まれた。時代が変わると法が状況にそぐわなくなり、その後数十年に渡り些細な問題が必ず法律の削除の是非を問う事態に発展するようになった。領主会議が毎年混乱を極めた為、結局、細かい法律は消され、曖昧な法律が残った。(*10) 黒の武器による内乱事件(時代不明) ずっと昔に起きた政変の後、広範囲で魔力が枯渇した時に自領を富ませるため、黒の武器で他領に侵攻し、魔力を奪う領主が出たことがあった。 周囲も真似て、政変の混乱に拍車がかかり、大混乱に陥った。 以後、黒の武器に変化させる呪文は貴族院の教育内容から省かれ、黒の武器が絶対に必要な魔物が出現する領地の騎士見習いだけに教えられるようになった。 貴族の弱体化 自分の適性の大神の加護以外の加護を得られる者が少なくなっていった。 百年ほど前から中級貴族や下級貴族では眷属の加護を得る者がいなくなった。 それでも王族や領主候補生は得ていたが、十数年前(おそらく政変後)からは、ダンケルフェルガーの者以外は稀となった。(*11) グルトリスハイトの変容 当時の女王が六属性しかない息子を溺愛し、全属性でなくても使える魔術具のグルトリスハイトを作成し、シュタープの魔力を通し合うことで継承した(第6期)。 他の息子達との継承争いは起きておらず、この段階までの間にグルトリスハイトは一子相伝に変化している。 六属性の息子はそれをそのまま自分の全属性の息子に継承した。 ここで「グルトリスハイト=魔術具のグルトリスハイト」となり、地下書庫の奥に関する知識が失伝した。 それでも、成人した王族が領主会議の頃に貴族院の図書館を訪れ、上級司書3人の鍵で地下書庫には出入りしていた。 全属性の息子(先代の王?)はマニュアル本グルトリスハイトの知識を持たぬまま、魔術具のグルトリスハイトを自分の息子(政変時の第二王子?)へ継承した。 政変 十数年前(前5~01年頃)、魔術具のグルトリスハイトを継承した第二王子が、ランツェナーヴェに繋がるアーレンスバッハの国境門を開門した後に、第一王子に殺害された。 魔術具のグルトリスハイトは地下書庫の奥に戻り、知識を失伝している王族では見つけられなかった(第7期)。 第二王子と同母の兄弟である第三王子が得たのではないかと疑った第一王子は争いを仕掛け、ユルゲンシュミット全域を巻き込んだ政変が起きた。 詳細は政変参照。 トラオクヴァール王の時代 政変に勝利した第五王子のトラオクヴァールは臣下となるべく育てられていたため、王となるための教育を受けていなかった。 中央神殿の聖典原理主義者はグルトリスハイトが無いことを理由にトラオクヴァール王の即位を拒否した。 聖典に基づく自分たちの見解が最も正しいと主張する事により、王族よりも権威を得る事が目的でもあった。 王族も貴族も激減し、重要な魔術具の半分近くが動きを止めた状態で国が保てるはずがなく、中央神殿は渋々王位を認めた。 旧ベルケシュトック領の貴族による叛逆 12年冬、貴族院にベルケシュトックの寮からターニスベファレンが侵入して、公には中央騎士団が討伐したことになり、貴族院で警戒されるようになる。 表彰式にてベルケシュトックの者がターニスベファレンを用いてトラオクヴァールを襲撃し、インメルディンクの学生等が大きく被害を受けた。 詳細は表彰式強襲事件参照 王位継承問題 第一王子ジギスヴァルトと第二王子アナスタージウスは元王女のエグランティーヌとの婚姻を望んでいた。 ジギスヴァルトは王座に近づく為の政略目的であったが、アナスタージウスはエグランティーヌ自身の心を求めていた。 アナスタージウスはローゼマインの仲裁で、争いの種になるのを避けたいエグランティーヌを尊重し、ジギスヴァルトに王位を譲ってエグランティーヌと結婚する。 11年冬、エグランティーヌの卒業式の際に神からの祝福が贈られたことから、アナスタージウス側近はアナスタージウスこそ次期王だと主張、ジギスヴァルト側近はエグランティーヌを奪い返せと主張を始める。 14年春、騒動を鎮める為、アナスタージウスの依頼でローゼマインがジギスヴァルトとアドルフィーネの星結びの際に本物の祝福を与える。 これらの事などから、ローゼマインは急速に中央の動きに巻き込まれていく。 詳細はローゼマインのグルトリスハイト取得と養子縁組について参照 グルトリスハイトの歴史 グルトリスハイト>取得方法の変遷参照 関連ページ:王 エーレンフェストの歴史 エーレンフェスト領>歴史参照 アーレンスバッハの歴史 アーレンスバッハ領>歴史参照 ランツェナーヴェの歴史 ランツェナーヴェ>歴史参照 ローゼマイン個人史 エーレンフェストの聖女>年表参照 コメント このコメント欄はwikiの情報充実のために設けた物です。 編集が苦手な方は以下のコメントフォームへ書き込んで頂ければ有志でページに取り込みます。 表示される親コメントには限りがあるので、返信の際は返信したいコメント横のチェックを付けて返信するようご協力お願いします。 脚注が少な過ぎる (2018-06-22 22 25 50) 詳細は各ページ参照で (2018-11-12 15 31 00) 一部コメントをユルゲンシュミットについての考察/コメントに移動 20年単位でマイン以外織地崩壊イベント周回してて、フェルだけでは糸が足りないので継ぎ足し用のマインが作られたとかなら本編は建国神話時代の神々が当てはまりそう。ロゼマ(モトスウラーノの微アナグラムで)メスティオノーラとか (2022-02-28 07 28 58) 来年は織地崩壊があるから下町家族守るマインに滅ぼされないように、先に処刑しておいたら因果律が狂ってて下町家族を処刑されたせいで織地修正したくない病みマイン (2022-02-28 07 34 30) ここは妄想を垂れ流す場所じゃないぞ (2022-02-28 10 05 19)
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大中華帝国の歴史 統一歴183年(帝国歴元年) 大中華帝国建国 帝国歴6年 中蒙戦争勃発
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チャイフープの歴史
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上永谷 永野地域に関する歴史は永野郷土誌に詳しく記載されております。 永野郷土誌 空から見た上永谷の歴史 永谷天満宮 「かまくら下の道」については、下記のHPに詳しく記載されておりますので、ご覧下さい。 鎌倉古道かまくら下の道 尾根道のかまくら下の道を立体画像で示す 鎌倉古道かまくら下の道 武士たちが駆けぬけた道かまくら下の道 こうなんの昔ばなし より 馬を洗った尼将軍 (上永谷) 貞昌院 港南区の生い立ち 永野小学校0100(昭和60年頃の環状2号線) 永野小学校0090(昭和51年、永野小学校の全景・航空写真) 永野小学校0080(昭和44年、永野小学校下の県道を横断する子供達) 永野小学校0070(昭和41年、水田付近の県道を横断する子供達) 永野小学校0051(昭和38年頃2階建て鉄筋校舎増築) 永野小学校0050(昭和36年頃2階建て木造校舎増築) 永野小学校0044(昭和36年頃の県道の景観) 永野小学校0043(昭和30年頃マラソンを駆ける子供達) 永野小学校0042(昭和30年頃の永野小学校全景・航空写真) 永野小学校0041(昭和30年頃の運動会、未就学児童のかけっこ) 永野小学校0040(昭和30年頃の永野小学校の全景写真) 永野小学校0031(昭和25年の富士登山の記念写真) 永野小学校0024(昭和12年修学旅行の際の記念写真) 永野小学校0023(昭和11年の運動会の際の写真) 永野小学校0022(昭和11年入学式の記念写真) 永野小学校0020(昭和7年健康優良児童表彰式の際の記念写真) 永野小学校0012(大正12年尋常高等小学校の卒業式の記念写真) <タグに 上永谷 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
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イングランドの歴史(超ざっくり)
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お前が歴史をつくるんだよ!
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歴史 個人的にスペインの歴史を考える際、最初に注意すべきこととして、スペインの成り立ちを知っておくことが重要と考える。 古代イベリア半島(Iberian Peninsula) ヨーロッパ大陸の南西端に位置。東西約1100km、南北約1000kmの方形で、総面積は約58万km2である。 また、その約85%をスペインが、約15%をポルトガルが占めている。 北と西が大西洋に、南と東が地中海に面して、北東部はピレネー山脈を境にフランスに面し、南西端は最狭14kmのジブラルタル海峡をはさんでアフリカ大陸に面している。そのためにイベリア半島は、ヨーロッパやアフリカの多くの民族と文化の交流と融合の場となっていたとされる。 しかし、原初期のイベリア半島がどのような状況であったのか、ほとんど知られていない。 そもそも「イベリア(Iberia)」という固有名詞の語源自体がどこから来たのかわかっていないという電波ぶりである。 語源についての詳細は言語にて。 わかっていることとすれば、「ピレネー山脈から向こう側はアフリカ」という認識をされていたことくらいである。そう考えると、山脈を越えた先に新たな民族が住んでいるのを知った当時の人からしたらUMA的だったんじゃないの。 ローマ帝国時代 紀元前2世紀、ローマとカルタゴが争ったポエニ戦争の影響を受け、紀元前205年にイベリアはローマ軍の手に落ち、その後ローマの支配を受けることになり、イベリア半島はヒスパニア(Hispania)と呼ばれる。 ローマ支配のもとでは半島住民のローマ化が進み、俗ラテン語が広まる。 年表はちょっと待ってね ページの一番上に戻る